手勢やう〳〵二千余騎鎌倉は朝時改公に御。見参仕ん之死物向ひ
の其夜の飛神のこく見候併味方は兼て関辺にての体数万姓と然る
やは気匂ひなく揺の怪我守護有べしとのゆみなり猶追々訴むらん今朝は
かける後三郎兵衛人息命なひ三郎右衛門さしけるもやらぬ中鳥供公左の
やみに出くらみ講中宿たかなまるしなれは迚数万銭の其中一□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
軍討死せんの眼前た此上は親類焼までにいほうなされなからず
人￣ヲつから次にやかの末綿倉さきとはかにて眼をおんと見ぬる
かく火なも気はゞは我子も気も気つまるいに脾分宜の後は
〳〵かへと勝鬨は歓味方一人の妻捨の種の種二度の油を剪
ひ大岩御悦び長平十分味万の勝利大災におそまれ集る
継方違ふ色にて逃去るを願給ひ或はぬればぬれ共そんに追まつ
葛籠明と呼立たる四郎左衛門方綱を横谷十郎か討着て候といといへ其余は
しゆ心さんいんのへ立がる火夫の首渡さと行ならしととむる者じや大な
軍時政公御成出へと呼方要がはつとしやせはつ御座の儲こしゆが