ス、米人之ヲ送リ返ス、幕府之ヲ獄ニ下シ、後斬ニ
処処
輿ノ陳孝婦ノ年十六ニシテ嫁ス、其￣ノ夫成役ニ当ル
行ニ臨ミテ、婦ニ嘱シテ曰、我ノ生死知ルベカラ
ズ、我還ラザルモ、汝能ク吾母ヲ養ン乎、婦応テ曰、
語、夫果シテ死ス、婦吏ニ居リ、結織ヲ業トナシ一
始ヲ養フ、其￣ノ父母其￣ノ女年少ク女ヲクシテ寡ナル
ヲ憐ミ、将ニ改メ嫁セントス、婦曰、夫ノ行ク時下
第里ニ属スルニ、老母ヲ以テス、吾之ヲ諾セリ管
ヲ卒ルアタハズ、諾シテ信ナル能ハズ、何ヲ以テ
世ニ立ンヤ、将ニ自殺セントス、父母懼レゾ載テ
改メ嫁セズ、婦其￣ノ姑ヲ養フコト二十八年、姑八十
余、天年ヲ以テ終ル、尽ク田宅ヲ売リ、以テ葬ル。終
ニ祭祀ヲ奉ス、淮陽太守以テ開ス、黄金四十斤ヲ
賜ヒ、其￣ノ家ヲ復シテ号シテ孝婦ト曰フ
第二
太政大臣雅実、政ヲ為スニ、務メテ大体ヲ存ス、颶
翻僧正覚深・嘗テ地産ノ事ヲ以テ、白河帝一内本
ス、帝其￣ノ事ヲ裁セント欲ス、以テ雅実ニ問フ唯実
対テ曰、臣朝恩ヲ以テ采邑ノ入アリ、故ニ細事ヲ