我らも體当りを敢行せん
千石與太郎
●同二十日八月二十日、藤鶴が北九州に来製したとき、陸軍少年
此出身の者武者、野辺直夫軍曹と高木傳藏兵長が、折尾町の
上空で、敵の巨二九厘、敵の巨二九重壓數にも體當りを行ひ、
その二機を欧落させたことは、すでに諸君のよく知つてをら
れることであらう。九月五日付で、防衝縷司令官たる東久瀬
宮稔彦王殿下から感状を授けられ、畏くも上關に達せられ
たことは、過日陸軍省から発表せられた。
●何量をたのんで反撃してくる敵機に便鬱りで皇土を防衛
ね
しようとするのは、皇軍獨得の戰法であつて、わが荒鷲精神
の質離を発揮したものと言へよう。この崇高神のごとき護國
の魂にたいして、我らは何をもつて報いたらよいか。その
道はたゞ一つ、それ〴〵の仕事の上で、めい〳〵が果敢な隨
當りを行ふより外にはないのである。
静岡県安倍郡大河内村では「配給米淡濃運動』を實行して
ゐるといふことである。「感謝報恩の誠意をもつて、米麦など
の主貧にかはる郷士貧福の踊の構の土產糧乏し、これを論するこ
とによつて、いくぶんでも配給米を遠慮し返納申し上げて、
食糧確保に御奉公したい。」といふのが、この運動の主唱者で
ある村長大村利平氏の言葉である。
そして、一方食糧増産のために、土地の政良を行ひ、燐島
利用をしたり、不急作物の轉換を行ひ、また、空閑地を活用
することなどによつて、雜穀、藷類などの郷十食糧の一大増
産を計ることもに、栄養畑識の著及につとめ、郷士貧として
満麦、うどん、雑穀、諸類、野来入の粥や雜炊などを突圖し
て、これによつて、一年に百二十一石二斗、俵にして三百三
一家の節米をし、これをし、これをし、これをすつかり供出しようといふのである
これは農民の侭当り運動のりつばな一つの事例である。
日本の農民は古から日本の全國民を養つてきた。農は國
の基、農民は『おほみたから』と読へられてきたのも、これ
がためである。職局危急のこの秋、もし、食糧が不足するや
うなことがありとすれば、皇國農民として陛下に對し奉
り、まことに申しわけない次第である。
テニヤン、大宮の両島のわが将兵全員数死の報いたり、我一
らの痛情、さらに切なるものがある。農民はこの際、古来ず
つと傳へてきた農民精神、農民生活の眞鍮を振りかへり、ど
うしたら、農民は體當りが取行できるかを、よく〳〵もう一
問役考へて、それを即刻、その場から実銭に移さなければなら
ない。(十月一日稿)
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